敗北と楽観

大学入学を控えた高校三年生の3月。要はモラトリアム期間である。人間、暇になるとくだらない考え事を色々としてしまう。大学に入った後にやりたいことに思いを巡らせてわくわくした直後に行き場のない不安や後悔に襲われたり。行き先が分からず、目の前は暗いもやで不安なのは受験期だけかと思いきやそうでもなくてウケている。

 

私は第一志望の国立に合格したのでそこに進学する。が、これは妥協であり、はっきりいって敗北だとも思う。かつて行きたいと思い、また行けるだろうと傲慢にも思っていた大学があった。(私は基本的には楽観的だ)しかし、私はその大学を受験していない。私は中学受験において大して苦労した記憶がない為に中学に入った途端、積極的に勉強に向き合う事をしなくなったとかいう典型的な例で、できないという事に慣れてしまい、プライドだとかガッツだとかいうものは表面的には失われてしまった。

国立大学は一校しか受けることはできない。中高と私立に行かせてもらったので私立大学に進学したり、浪人したりするのはさすがに親に対して申し訳なかった。そうして私はかつて行きたかった大学からランクを一つ下げた、所謂「自分のレベルに合っていて、受かりそうな学校」を受けることにした。

まあ、逃げたわけだ。これを決めたのは高一の頃だったので、すぐに真面目に勉強を始めていれば行きたかった大学に行ける勝算はまだあったかもしれない。でも、私はをそれをしなかった、ていうか、できなかった。変に現実を見たふりをして、私は頭弱いし、パッパラパーだし、こっちの方が合ってる、とかクソみたいな言い訳を自分にして妥協してしまった。

塾の先生に「あなたはその根拠のない自信があふれてるところが良いんだよ」とか言われたけど、先生、それは私が大半のことにあまり関心がないからなの。でも局所的に関心がすごいし、その時は変に現実を見ようとしてしまうんだよ。

進学校とかいうやつに通っていたので同級生は国立医学部、東大、あまつさえ離散に挑戦する人もかなり多くて、みんな挑戦することを選んでいる時点で本当に尊敬した。入試が終わってみて、受かった人もそうでなかった人ももちろんいたが、浪人してもう一年やり直す人の多さに驚いた。そして自分が本当に行きたい大学に行く、という彼女たちの意志の強さを尊く、また素晴らしいと思った(女の子は浪人してはいけないとか言っているアンポンタンもいるが、時代錯誤すぎて眩暈がするし、行きたい大学に行くという思いに性別は関係ない)。

では、私は一体何なのか。第一志望に受かる為に自分にしては頑張ったとは思うが、

がんばって当然 努力はオプション*1 

ってゆいかおりも歌ってたし、周りの人と比べると私の「頑張り」なんて試験勉強レベルだし、努力したなんて思えないし、名乗れない。(勘違いされるのが嫌なので書いておくが、私は大学名が人生を決めるとは思っていない。そこでやったことが人生に関係してくると思っている派だ。ただただ、自分が「努力できない自分」に負けてしまった事が嫌なのだ。)

マイナスなことをつらつらと書いてみたが、色々調べた結果選んだちゃんと生きたい大学に行けるし、大学での勉強やバイトが普通に楽しみでもある。留学とか旅行とかもしてみたいし、視野が狭いので広げていきたい。

大学受験を通じて得たピリっとした痛みとこのほろ苦さが、大学でちゃんと興味のあることを見つけてそれに向かって真剣になることで昇華されるといいなあ、とか懲りずにポジティブに考えているのでやはり私は楽観的な人間だなあ、と思った。

(別の国語の先生に「君の文章は言おうとしてることはなんとなくわかるけど、伝え方が下手くそ」って言われたけど今読み返したらその通りで面白い)

*1:Jumpin' Bunny Flash!!